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戸田城聖の後を継ぎ、創価学会第三代会長となった山本伸一の峻厳な「弟子の道」が綴られている。日蓮大聖人の仏法のヒューマニズムの光をかかげて、世界を舞台に繰り広げられる民衆凱歌の大河小説。
【各章の概要】
【「新世紀」の章】
1975年(昭和50年)6月、山本伸一は新世紀への飛翔のために、東京各区をはじめ、各地の首脳幹部との協議会に最も力を注いでいた。大田区から始まった協議会では、新会館の建設や記念行事の開催が決まるなど、新しい前進の目標が次々と打ち出され、新たな希望が広がる。戸田第2代会長の出獄30周年の7月3日、記念の集会で伸一は、戸田が提唱した地球民族主義の平和構想実現への決意を力強く語る。そして、恩師の偉業を永遠に顕彰する記念碑を、戸田の故郷・厚田村に建設することを提案する。青年部は結成記念日を控え、聖教新聞で紙上座談会「青年が語る戸田城聖観」を連載。師と共に新しき時代を開く青年の熱意があふれる紙面となった。このころ、伸一は、各界の指導者や識者との対話に全力を傾けていた。7月12日には、日本共産党委員長の宮本顕治と会談。2人の語らいは毎日新聞に連載され、その間に!)創共協定!)が発表される。一方、文学界の巨匠・井上靖との手紙による語らいは、往復書簡「四季の雁書」として月刊誌『潮』7月号から連載が開始。生死や老いの問題からカントやトルストイなど、幅広い対談は12回に渡って続けられ、77年(同52年)に単行本として結実。また、この連載が始まったころ、!)経営の神様!)といわれる松下幸之助との往復書簡集の発刊準備も進んでいた。2人は出会いを重ねる一方、書面を通しての語らいを進めてきたのだ。人間の生き方から、日本、世界の進路など、テーマは多岐にわたり、この年の10月、『人生問答』上・下巻として発刊に至る。
【「潮流」の章】
7月22日、伸一は、第12回全米総会を中心とした「ブルー・ハワイ・コンベンション」に出席するため、一路、ホノルルへ。この総会は、翌年がアメリカの建国200年に当たることから、その前年祭記念行事として開催されることになり、大統領からもメッセージが寄せられていた。ワイキキビーチを会場にして、社会に大きく開かれた地域ぐるみの大イベントである。3日間にわたる大会は、25日、アメリカを代表する一流の芸術家が出演するナイトショーからスタート。翌26日、メンバーが難問を克服して造り上げた人工の浮島で行われた全米総会には伸一と共にアリヨシ州知事が出席し、あいさつ。SGI(創価学会インタナショナル)が多様性を重んじ、民族、文化の相違を克服して、友愛と人間愛を信条としていることを賞讃した。登壇した伸一は、民衆と民衆の友愛と調和があってこそ、真の平和が築かれると述べ、異民族同士の共存を可能にしてきたハワイの「アロハの精神」に言及。それは仏法の「慈悲」「寛容」に通じるものであることを訴えた。この夜、行われたパレードには、伸一との約束を果たし、喜々として行進するニカラグアのメンバーの姿も。大会の最終日には、アメリカの建国の歴史と精神をミュージカルでうたい上げるなど、絢爛たる舞台が続いた。こうした行事の合間をぬって伸一は、来賓との会見をはじめ、広島などの交流団やブラジル、ペルーの代表を宿舎に招いて激励を重ねる。答礼の晩餐会を終えた翌29日、コンベンションを陰で支えたスタッフらに、伸一は自らバーベキューの肉を焼いてもてなすなど、労をねぎらい、励ましていく。世界への第一歩をハワイに印してから15年――。今、再びこの地から、平和の新しき潮流が起ころうとしていた。
【「波濤」の章】
未来を開くために何よりも必要なのは新しき人材である。伸一は、ハワイから帰国すると、創価大学での夏季講習会で陣頭指揮を執る。8月3日の「五年会」の総会、翌日の高等部総会での渾身の指導をはじめ、連日のように各方面の幹部や各部の代表と懇談を重ね、さらに、未来部員を見送るなど寸暇を惜しんで激励を続けた。東京男子部の講習会では、外国航路で働く船員の集いである「波濤会」のメンバーと記念撮影する。「波濤会」からは、大シケで船首を折られた貨物船の乗組員全員の救助に成功し、総理大臣表彰を受けた「だんぴあ丸」の船長など、多くの人材が育つ。また、不況にあえぐ海運業界を勇気づけようと企画した「波濤会」の写真展は海外10カ国へ広がり、共感の波を広げていく。伸一は、若き女性の育成にも全力を注ぎ、9月9日には、女子部学生局の幹部会に出席。御書を通して指導したあと、夜の会合の終了時間を早め、午後8時半とする「8・30運動」を提案。28日には、女子部の人材育成グループ「青春会」の結成式へ。彼は21世紀を託す思いで魂を打ち込んでいく。新時代の女性リーダーを育成するこの会は、次々と各方面で結成されるが、伸一は折あるごとにメンバーを励まし、見守り続ける。
やがて総合婦人部長、婦人部長をはじめ、広布の枢要な立場で活躍するメンバーや社会で重責を担う人材が育っていく。
【「命宝」の章】
この世で最も尊厳な宝は、生命である。9月15日、伸一は、その生命を守る、現代の四条金吾ともいうべきドクター部の総会に初めて出席し、記念のスピーチを行う。「健康不安の時代」と言われている現代にあっては、心身両面にわたる健康に着目する必要があると指摘し、精神的な健康の確立が身体上の健康増進の大きな力となっていくことを訴える。この日は、後に「ドクター部の日」となる。11月7日夕刻、本部総会に出席するため広島入りした伸一は、一瞬たりとも時間を無駄にすまいと、到着早々、落成間もない広島文化会館の館内をくまなく視察。
夜には開館式に出席して指導。総会前日の8日には、平和記念公園の慰霊碑に献花し、祈りを捧げる。そして9日、被爆30年を迎えた広島の地での本部総会が開催される。伸一は、この地上から一切の核兵器が絶滅する日まで、最大の努力を傾けることを宣言し、国際平和会議の広島での開催など、全廃への具体的な取り組みを提案する。さらに、日本がめざすべき今後の進路や、創価学会の社会的役割などに言及。講演は1時間20分にも及んだ。終了後、来賓のレセプションを終えた伸一は、広島未来会第2期の結成式へ。少年少女合唱団も招き、交流のひと時をもつ。10日には、海外メンバーの歓迎フェスティバル、原爆犠牲者の追善勤行会などが続くなか、広島会館へ。会館前の民家の主にも丁重にあいさつし、対話を交わす。11日、予定を変更し、呉会館を初訪問。駆けつけたメンバーと勤行し、指導を重ね、その合間には、控室でも激励を続ける。また、広島文化会館に戻る途次、人待ち顔でたたずむ学会員を見つけては、励ましを送る。伸一の奮闘は、とどまるところを知らなかった。
【目次】
新世紀/潮流/波濤/命宝